【神田沙也加】 「芸能界やめたい」限界を迎えていた苦悩と葛藤 自殺理由、遺書の内容とは?

過去のインタビューで芸能界辞めたいタイミングあったと答える

――2001年にCMデビューしてから芸能活動20年が経ちました。その間で辞めたいと思ったことはあるのでしょうか。

大きく2回ありました。19歳で一般の仕事に就いたほうがいいのかなと感じたとき。そして、おととしです。そもそも、何がなんでも芸能の仕事をやりたいとは思っていないんです。

――もし辞めていたらどの道に行こうというのはあったのですか。

やめていたらアパレルの会社に入社していたと思います。できることを活かすのであれば、ビジュアルプレスや事務作業もできる。社長になりたい、起業したいとかはまったくなくて、人気ブランドの一部、もっと言えば“社会の歯車”になりたかったんです(笑)。

――目立ちたい人の多く集まる芸能界にいる神田さんがそう思っているのは面白いですね。それでも、なぜ芸能の仕事に残ることを決めたのですか。

信頼しているアパレルのパートナーに会社で働きたいと伝えた際に「ありがとう。でも、演劇をしている姿を見ていると、他人としてはどうしてももったいないと思ってしまう。最低30人に相談して、それでも気持ちが変わらなかったら喜んで迎える」と言われたんです。

そこでいろんな方の話を聞いたんですが、ありがたいことに「もったいない」とみなさん言ってくださって。特に仲が良かった演劇のプロデューサーが辞めることになって。そのときに「君は演劇を続けなければいけない使命と力がある。だから芸だけを磨き続けていれば何を言われても負けることがない」と言い残していかれたんです。その言葉はすごく刺さりました。

――そして今、仕事は楽しいですか。

楽しい、楽しくないでお仕事を考えたことがなかったかもしれません。でも誰かのためにやっているときは楽しいです。

https://www.oricon.co.jp/news/2196285/full/

その後の報道によると、
神田さんは「芸能界を辞めたい」とその後も周囲に打ち明けていたようです。

しかし、
周囲に慰留されたことで芸能活動を継続していたとされています。

遺書などは見つかっていないものの、
親友である黒崎真音(まおん)さんがライブ中に倒れて緊急搬送されたことが、
神田さんに大きなショックを与えたとも指摘されています。

遺書はまだ発見されていませんが、

社会の歯車になりたいと答えていた自分と、

それを許してくれない、周囲が、

今回の自殺の理由を作ったのかもしれません。

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